3回目の年女は、最後まで落ち着かず・・・

Twitterやmixiではポロポロと発言していたのですが、
実家で一人暮らしの父が、10/31に急逝心筋梗塞で救急車で搬送され、
緊急手術を受け入院、なんてことがありました。
幸い、回復も順調で、3週間で退院できました。
いろんな人にご心配おかけし、いろんな人にお世話になりました。
皆様ありがとうございました。

10/31は日曜で、朝からどよんと曇っており、
さぁ今日は何するかなと思ったときに、東京に住む叔父からの電話がありました。
叔父は父から直接連絡を受け、手術前にも少ししゃべったというから、
私は最初驚きつつもそれほど深刻でもないのかな、とぼんやりしてました。

が、「心臓だから何があるか分からない」と言われ、
その後続報で「カテーテル程度じゃムリなので開胸手術になるらしい」
とさらに追い討ち?をかけられ、こりゃ覚悟を決めないかんのか、とモヤモヤしつつ新幹線へ。

思えば、今年初めの母の急報の直後は、生まれて初めて歯がガチガチ、ひざがガクガクとなり、
正直「あぁ、もうホンマにだめそうやなぁ」とほぼ諦めた気持ちで
札幌から大阪の病院に向かいました。(母、ごめん)

今回は、完全に半々、の気持ちでいましたので、
時々父に心の中でエールを送りながら、新幹線でおにぎりを胃に詰めこみました。

結局、心臓をとりまく3つの冠動脈がすべて詰まっていて血液が足りなくなり、心臓が1/5くらいしか動いてないので、冠動脈すべてバイパス手術するという、心臓外科手術としては一番重いレベルの手術、が開始されていました。
が、昼頃から始まって夕方には終わりました。(心臓の手術って早いんですって)

私が西宮市内の病院に着いたのは手術の真っ最中、午後2時ごろ。妹は4時ごろやったかな?
その間、来てくれたご近所の方(仕事でもお世話になってる)や、親戚の人たちとおしゃべり。
なんか今年は、年明けからこんなんばっかし・・・。

合間に、搬送直後最初に父を診てくれた内科のセンセや看護師さんとお話し、そのとき、とりあえず死なずになんとかなるみたいやなぁ、という雰囲気を感じました。

入院の準備についての説明を聞きながら、「今度は、ちゃんと生きたままで、回復にむけた入院ができるんやなぁ」とも思ってました。
(母のときも同じように入院について説明をうけてタオルなど準備しましたが、意識不明でただ死を待つだけの入院だったので)

執刀してくれた外科医のセンセは、かなり濃い、面白い方でしたが、長くなるので割愛(笑)。
緊急だったため、合併症や感染症などの心配は残るが、手術そのものは成功とのことで、とりあえずは安心しました。

とはいえ、その後2日くらいは、これから先どうなるか不透明で、不安で、けっこう疲労しましたね。
頭も痛くなって、久しぶりに頭痛薬など飲みました。
でも、こういうとき女きょうだいがいるって心強い。
たわいもない話をし続けられる相手がいるのはとても助かりました。
(ちなみに、食欲は衰えないんですよね、これが。
年始もそうでした。病院で待つって、やたらにお腹へるんですよ・・・)

心臓の手術後は回復が早い、とは今回初めて知りましたが、そのとおりで、手術2日後からICUにいる父とは普通にしゃべりはじめることができました。そこで少し気が楽になりましたかね。
また、10日後くらい(私が東京に戻ってから)、ICUから一般病棟に移ったのですが、その辺から本格的に安堵できたように思います。

そんなこんなで、今週末は、母の一周忌法要です。
父がこんなことになって、これは延期だろうと周囲は思っていたのですが、当人がどうしても今年中にやりたいと主張して予定通り行うこととなりました。
外でやるもんじゃないけれど、いい天気になるといいなぁ。

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年初は、脳外科医ってすごい!
年末は、心臓外科医ってすごい!
という年になりました。

職業に貴賎はない、とは言うけれど、やっぱり、お医者さんと看護師さんはすごい、と思います。
ほんと、ありがとうございます。

 

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